
古代ポンペイを歴史の舞台から消去したのはヴェスヴィオ火山である。西暦79年8月24日にヴェスヴィオ火山は大噴火する。1万2千人と推定される市民の大部分は、山を急激なスピードで下ってきた火山流、即ち高熱ガスと高温灰が襲いかかりポンペイの街は全滅する。
1763年から始まる発掘でポンペイの街並はタイムスリップしたかのごとく甦る。調査の結果、町は整然と区画整理されていたことが判明する。住居は戦乱が続いた時代の名残から通路に面した壁に窓は一切なく、採光と通風は内部に吹抜け式の空間を設けて対応した。
開放空間は2タイプあり、一つはエトルリアの伝統を引き継いだ室内空間アトリウム、もう一つはギリシャの影響の強い柱廊に囲まれた中庭ペレステュリウムである。ローマ文明はアルプス以南なので「無機質のインテリア文化圏」に属している。
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